森 信運命をひらく 365の金言 49 「人間の真のねうち」

人間の真のねうち

 そもそもわれわれ人間の真のねうちは、結局はその人の心の清らかさのほかないともいえましょう。いかに多くの富を蓄えても、またいかに大事業をしたとしても、さらにまたいかなる高位高官に昇ろうとも、人間の最後のねうちは、結局は心一つの問題といってよいでしょう。すなわち、「心の清らかさ」という一事のほかないわけであります。
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森 信運命をひらく 365の金言 50 「人間の気品」

人間の気品

 そもそも人間の「気品」というものは、いわばその人の背後から射してくる後光みたいなものでありまして、それは結局その人が他人の見ていないところで、どれほど自己を慎むかどうか、その程度によって光の差し方が違ってくるわけであります。
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森 信運命をひらく 365の金言 51 「人生は大マラソン」

人生は大マラソン

人生は唯一回の大マラソンである。
途中でくたばっては駄目。
 そして「死」が決勝点だから、
「死」が見え出したらひた走りに突っ走らねばならぬ。
それゆえ偉人は四十頃からぼつぼつスピードをかけ出すが、
凡人は四十頃から早くも力を抜き出す。

森 信三 運命をひらく 365の金言 53 「死は汝の側にあり」

死は汝の側にあり

欲の最大なるものは生命の欲である。
これを超越することが出来たら、
自余一切の欲望をうち越えることが出来る。
生命の欲を越えるとは、常に「何時死ぬかも知れぬ」と覚悟していることである。
「死は汝の側にある」で、われわれは生命のある中に、ひたすら道を修行せねばならぬ。
人間は死を覚悟して初めて腰が決まるんですよ。

森 信三 運命をひらく 365の金言 54 「人生の秘訣」

人生の秘訣

 電車などに乗った際、かりに途中で何か事が起こり、七、八割の乗客が立ち上がって、窓から外をのぞくような場合にも、じっと座っていられるような人間でなければ、大事はできません。もう一つの例を申せば、橋の下に何かの事故があって、黒山を築くほどの人だかりがしていても、それには見向きもしないで、平気でスタスタとその橋が渡れるようでなければ、大事は出来ません。こういうことは、何でもないことのようでありながら、実は「人生の秘訣」といってよいのです。前に申すような事柄に、動かされるような人間はかれこれいってみたとて、結局、真の頼みにはなりません。

 人間は百人の中九十九人、否千人中九百九十九人までが引きずられても、自分一人は引きずられぬという処がなくては大事はできません。つまりそれでなくては、百人中九十九人、否千人中九百九十九人までの人間のやらないことを、われ一人進んでやってのけるという、真の力は出ようがないのです。

森 信三 運命をひらく 365の金言 55 「和顔と愛語」

和顔と愛語

「われわれ人間は、いやしくもこの地上に不幸の人が存在する以上、自分の幸福に対して、どこか相すまぬという気持ちを忘れこと」だと思うのである。同時にかくは考えても、この地上の人類のすべてを一人残らず幸福にするということは、現実としては到底実現不可能という外ないであろう。
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