森 信三 運命をひらく 365の金言 38 「人と禽獣との違い」

人と禽獣との違い

 われわれ人間は、自己に対する反省と自覚を欠く間は、この天地大宇宙の間にありながら、しかも天地人生の道を明らかにし得ないのであります。かくしてわれわれ人間は、自己がこの世に生まれ出た真の意義を知り、自らの使命を自覚して、いささかでもこれを実現しようとするところに、人と禽獣の真の本質的な違いがあると言うべきでしょう。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 39 「野心と志の区別」

野心と志の区別

 人間が志を立てるということは、いわばローソクに火を点ずるようなものです。ローソクは、火を点けられて初めて光を放つものです。同様に又人間は、その志を立てて始めてその人の真価が現れるのです。志を立てない人間というものは、いかに才能のある人でも、結局は酔生夢死の徒にすぎないのです。そして酔生夢死の徒とは、その人の心の足跡が、よたよたして、跡形もなく消えていくということです。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 40 「真の大望」

真の大望

 国家の全運命を、自分独自の持ち場のハンドルを通して、動かさずんば已まぬという一大決心の確立した時、その寿命は、天がその人に与えた使命を果たすだけは、与えるものです。それよりも永くもなければ短くもありません。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 41 「確実な真理」

確実な真理

 私の力説したいのは、われわれのこの地上の「生」は、遙遠極まりなき過去から、無窮なる未来にむかって展開する無限なる宇宙生命の一瞬的な閃光に過ぎないわけであるが、それにも拘わらずわれわれの人知は、自らの「生」の来処についても、はた又死して後ゆくべき世界についても、何らこれを対象的には把握しえないのであって、わずかに全我を捧げてその秘奥の一端に触れうるのみだといってよい。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 42 「死後の生命」

死後の生命

 死後の生命をどう考えるかーーという問題ですが、佳き人にめぐりあえたら死後もその人の心に遺るのは確実でしょう。つまりこちらは先に死んでも、相手の心に印象や思い出は尾をひきましょうね。またたとえ相手の人が死んでも、もしその人が卓れていたら、他人にも伝わる可能性はありましょうね。同時にそれ以上を考えるのは人間の欲というものでしょう。外道です。だが死後もこういうふうな形で生き残るといえることは一おう事実といえましょう。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 43 「尊敬するということ」

尊敬するということ

 尊敬するということは、ただ懐手で眺めているということではなくて、自分の全力を挙げて相手の人に迫っていくことです。地べたをはってにじり寄っていくようにーです。つまり息もつけないような精神の内面的緊張です。薄紙一重もその間に入れないところまで迫っていく態度です。

 迫ろうにも迫れないと思っているのは、君がまだ真に迫ろうとしていないからです。人間としてのほんとうの力が、まだ動き出していないからです。つまり生命の要求が弱いのです。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 44 「人間のお目出たさとするどさ」

人間のお目出たさとするどさ

 そもそも私達が、一つの徳目を真に徹底的に履み行わんがためには、結局根本において、人格の転換を必要とすると言えましょう。たとえば人が傲慢に振舞うということは、畢竟するに、その人が調子に乗っているということであり、したがってそれは、一見いかにもえらそうにしていながら、実は人間のお目出たい何よりの証拠であります。つまり自分のそうした態度が、心ある人から見られて、いかに滑稽であるかということに気付かない愚かさであります。同時にまた卑屈いということは、一面からは、その人間のずるさの鉦鼓とも言えましょう。何となれば、人間は卑屈の裏には、必ず功利打算の念が潜んでいると言ってよいからです。
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